薄馬鹿下郎日記

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八閑斎

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昨日のその時歴史は動いた

2007.01.25 日常茶飯事
島原の乱についてやっていました。
首謀者とされているのは天草四郎ですが
本名は益田四郎時貞つーんですね。
名字の読みが一緒なので昔から少し親近感を持っていました(勝手に)

昨日の扱いは島原の乱は宗教一揆という部分が
強調されていましたが最近の研究では
宗教のためだけに起こしたわけでは無いということがわかっています。
だから、なんか違和感w
幕府がキリスト教(耶蘇)を諸外国の侵略を懸念して弾圧した
みたいな扱いをしていましたが、これもおかしい。
幕府は耶蘇ばかりを弾圧したわけじゃない。
しかも宗教弾圧は徳川時代に始まったわけじゃないことは
信長の叡山焼き討ちや秀吉のバテレン追放令からも明確です。
あと、九州なのでキリシタン大名が増加したのは
純粋に耶蘇に帰依したものばかりでなく貿易目当ての
者や仏教勢力に対抗するために奨励したものも多かったようです。
なぜ領主が仏教勢力に対抗しようとしたのかといえば
仏教勢力も領主と同様の力と領地を持っていたからです。
両者は土地などを巡って対立する存在だったのです。
下手をすれば自分がやられると
家康は特に若いころの三河の一向一揆で痛感したはずです。
(家臣も宗教を理由に裏切った)
家康の宗教政策にはそれが生かされたのでしょう。
本願寺は東西に分裂し耶蘇は禁止、権力者に反抗的だった
日蓮宗不受不施派も禁止され耶蘇ともども弾圧。
(島津では一向宗が弾圧され藩境で
 何度も侵入しようとした僧侶が捕まったそうな)
在来の宗教勢力は権力に協力することで生き残り
特権を維持することが出来た。

話がなんだかこんがらがってきましたが
要は島原の乱は宗教上の理由だけではなさそうだということ
が言いたいのです。
勿論、大きな理由の一つだろうし精神的支柱だったと
思いますが松倉氏がちゃんと支配をしていれば
こんなことにはならなかっただろう。
つまり生活が十分できているが信教の自由がないから反乱を起こす
というわけではなかろうとそう思ったわけです。
はい。
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