薄馬鹿下郎日記

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八閑斎

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ゆと~り教育。是か非か?

2005.03.28 時事放談
毎日新聞が行った世論調査で
ゆとり教育評価せずが評価する24%を大きく上回り65%だったそうだ。
理由は「学力が低下しているから」が最多だったという。

俺は惜しくもゆとり教育を受けられなかった世代だが
その是非について考えたい。
コメントを獲得するのが目当てなんですけどね。
映画レビューなんて誰も興味ないもんね。
なにしろこの日記は低刺激なのでコメントしにくいようです。
色気はないしね(出しようが無いが・・・)
少し誰かにケンカ売る文章の方が

個人的には好きなんですよゆとり教育。
受けたかった。
小学校はゆとりだったけどそれは中学受験するために塾に行ってたからでして
塾がゆとりじゃなかったので結局一緒でした。
小学校の授業はヒマでそのせいで通信簿によく
「人の話を聞いていない」
と書かれました。
聞いていないんじゃなくてつまらないことを授業でやっているので空想したり絵を描いていたりしてたんですね。

小学校が一番楽しかった。楽だったから。
ただ、勉強では一番では無かった。
俺より頭イイ受験組がいたんで。

ああ、なんか脱線しましたが俺は学力は低下するものじゃない
と思うのです。
学力ってなんですか?
って話で小学校でやることなんて
「アサガオは左巻きか右巻きか?」とか
「江戸幕府は誰が開いたか」
いうものばかりでツマラナイ。
そこまでに至る過程が面白いのであって結果は結果でしかない。
俺は日本史はマンガ地理は桃太郎電鉄で理科は図鑑で漢字は読書で学んだ。
「学んだ」というより勝手に覚えたというほうが正確で
勉強したつもりはない。
四字熟語やことわざなど常識的なことも学習マンガから
あとは塾。小学校で有意義だったのは体育と図工くらいで
事実小学校には遊びに行っていたと思う。
これ以外の算数とかはマンガで学ばなかったので後々大学受験までまで響いて悲惨な結果を生む。
これだけは後悔している。
そもそも数学と英語が出来ないなんてカスじゃないか

・・・また反れましたね。
ゆとり教育というのはそもそも受験のためだけの学習ではなく
人生において必要な学問を教えるために導入されたのではないのか?
(だから「ゆとり」を小学生に導入するのは異議がある)
今の高校生や大学生をみれば受験的知識は多いがそれ以外の知識
にうといものが結構いる。
こういう人が官僚になるそして日本を大戦争に追い込んで国を滅ぼしてしまったり、赤字国債を700兆円作ったり、人の年金で自分たち用のプールやゴルフ練習場を作ったりする。

司馬遼太郎が日本は「秀才信仰」があると書いたがその通りで
ペーパーテストができれば学歴があれば信頼してしまう。
明治以後ずっとそうだった。
いや、明治はそれでも良かったのだ。
発展途上国であったし新しい技術や制度を採り入れたりするのには
ある程度画一的な人材が必要だった。
しかし、先進国となった今でも同じことをしようとしている。
むしろ明治に帰れというくらいの復古調である。
先進国は先進国にあった人材が必要だ。
今はそれを考えるときではないだろうか?
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コメント10
トラックバック1
2005.03.28 18:42 edit
うちはやや賛成という曖昧な立場をとっています。スウェーデンかフィンランドでは、それこそ本当の意味での「ゆとり教育」でうまくやってるそうじゃない。
日本の場合、中途半端なまんま(不変の大学受験)だから、だめなんでしょう。
学力って何?って疑問は同感いたします。うちもよくそうつっこむし。てかその点に関しては、基本的に管理人様と同じ意見なので、論議を起こせません。期待に応えられなくてごめんよ。

最近、森嶋通夫(日本人で一番ノーベル経済学賞に近かったと言われていた経済学者)の自伝を読み終えました。彼のような信念を貫いて(状況に流された部分もありますが)生き抜いたことと、学問に対する姿勢から大きな刺激を得られました。
彼のような「立派な」教授が、うちの経済学部にもいてほしいものです。
森嶋通夫は、うちの考えのベースになっている一人です。この本を2年くらい前に読んでいたら、微分積分をまじめにやって経済学部に進出したかもしれません(笑)
じゃんぼ URL
2005.03.29 00:17 edit
ゆとり教育ねぇ。僕は良くわからないなぁ。どこが、何がゆとりなのかわからん。そんなことで、軍曹が言ってるとおり議論は「どのような人材を育成する必要があるか」に移ると思う。現在必要な人材とはどんな人材だろうか?これはむずいよね!!うーむ…。思考がしばし止まってしまうよ。極論、人それぞれの能力が最大限引き出せることがいいんだと思う。でも時代に恵まれなかった偉人は大勢いるよね。
まあ、何かキリがないなぁ。
個人的な結論は社会、世界を人のためにどのような方向に進ませるべきなのかを考え行っていくべきなんだろうなって思う。
忘れてた…ゆとり教育に関しては僕はどっちつかず、教育の根本は志しだと思うから。

なんか凄く軍曹につっこまれそう…
怖いよう(笑)
斧 URL
2005.03.29 11:45 edit
>斧
根本に確固とした「理念」がなけりゃ、簡単に破綻するでしょう。ちなみにうちらが通っていた学校の教育学説を立てた方は、「ゆとり」派だよね。(あえて「」を付けてるので注意)
「理念」があって、うまくやっていたのが、イギリスのパブリック・スクール。でも、さっちゃんが、教育の現場に競争原理を持ち込んでくれたおかげで、それもぶち壊されたけど。フランスのリセや、ドイツのギム(ギムナジウム)はどうなんでしょう?ギムは単なるエリート養成機関になってるという人もいるけど…。

ちなみにうちの大学の理事会のお歴々は、アンチゆとりらしいですね。いつかの新聞に「栄光輝く~」なんてやってましたけど、正直、文科省の犬になっているのもいい加減にしろ、って感じです。
ちなみに大学に入って、うちがやった最初のプレゼンのタイトルは「リベラルアーツとは何か―○○大学よどこへいく?(注:ネロではありません)」です。結論からいって、大学に喧嘩を売った、ってことです。
あと後期の総合演習のレポートの内容も反大学(理事会という方が正しいかも)宣言。一万字では収まりきらないものになりました(笑)

このネタでうちが発言すると、だんだん空気が淀みそうなので、控えたほうがいいかなぁ。
じゃんぼ URL
2005.03.29 14:28 edit
>じゃんぼ
>日本の場合、中途半端なまんま(不変の大学受験)だから、
>だめなんでしょう。
というのには大賛成です。
少子化しても少数のエリート化が進むだけで何も変らないと思います。

>さっちゃん(サッチャー元首相)
はね。色々やったひとですからね。
アルゼンチンと戦争したりとか・・・。
賛否があるのは仕方ないかと。
パブリックスクールも結局エリートだと思うんですよね。
誇りってのは結局差別から来てると思いますよ。
自分は他の連中より偉いからこうしなきゃいけないって
教育だと思うんです。
日本の武士道もしかり。
日本最強といわれていた薩摩武士団ではそれが顕著で
差別が激しすぎるので上士は陸軍、下士は警視庁と
わざわざ分けたらしいです。
誇りというのはやはりどこかで他の人間を下に見なければ
出てこないと思う。

>斧
どのような人材かと問われれば「独創的な」という胡散臭い言葉
でしか表現できないですけど、自治体が勝手に教育方針を作れば良いと思う。
江戸時代みたいに。
文部省ってところが中央集権的に統制しているからいけないんだと思う。
江戸時代も国の学問は朱子学でしたが他も随分流行っていた。
勿論中国のまねっこから始まってるわけですけどその中にひねりがある。
今の教育はやはり明治と変らないですね。
明治という時代は比較的まともだったですが
それは江戸人が生き残っていたからでしょう。
日露戦争の指揮官もほとんど江戸時代に生まれた人達です。
それに愛国心。
江戸時代に「日本」という概念はなかったから(幕末に出た)
愛国心はなかった。
だけど溢れるほどの郷土愛はあったと思います。
愛国心っていうのはそこから発展するものだと思うし
教えるものではないと思う。
今、愛国心が無いといわれているのは地方の画一化と
愛せる国でなくなってしまったということだと思う。
政治家はそこらへんが全くわかっていない。
武蔵公方 URL
2005.03.29 15:22 edit
>パブリック・スクール
うん、今はエリート化しているってのは事実だと思う。もともと、パブリック・スクールは、もとはペストの大流行で不足した聖職者(ヨーロッパの聖職者のうち1/4近くが死亡したそうな)を補充するためにはじまったけれど、当時門戸を開いた対象としては、お金持ちのお坊ちゃまではなく(というのも彼らは家庭教師を雇っているためわざわざ学校で教育を受ける必要はなかったから)、親の年収いくら「未満」の家庭の子弟だったから、そういう意味では、昔の人は「お金持ち」のエリートを育成することが目的ではなかったはず。
パブリック・スクールの教育理念を表している言葉は、「ノブレス・オブリージ」だと思う。よい教育をうけたものにはそれなりの義務が伴う、ってとこかしら。その辺は、池田潔の『自由と規律』(岩波新書・緑)や森嶋通夫『イギリスと日本』(岩波新書・黄)に。あと伊村元道『英国パブリック・スクール物語』(丸善ライブラリ)なんかも参考になります。

あと、愛国心で思い出した。
清水幾太郎(カーの『歴史とは何か』とかを翻訳した人)の代表的著作に『愛国心』という本が岩波新書から出ていたそうです。今は絶版で、この前神田の神保町で見かけましたが、いい値がついてました。図書館にいけばあるかもしれませんが、思い出したので紹介。
愛国心に対する考え方は、管理人様と似た感じ。強いて言うならば、通信技術などの発展に伴い、「距離」が抹殺された現在では、「愛国心」は一国を対象とするものではなくて、地球全体・人類全体に向けられてよいのではないかと思う。これを口でいうのは簡単だけど、実感するのはなかなか難しい…。竹島とか北方領土とかどうなっていくのかしら…。
結局は極東有事?(不安)古代と同じでは…
?ぐすん。

ゴチャゴチャ五月蠅くしてしまいすみません。
じゃんぼ URL
2005.03.30 13:32 edit
>じゃんぼ
>通信技術などの発展に伴い、「距離」が抹殺された現在では、>「愛国心」は一国を対象とするものではなくて、
>地球全体・人類全体に向けられてよいのではないかと思う。
距離は確かに抹殺されてるけど言語とか習慣が違うとやはり
「愛国心」みたいなものは共有できないと思う。
(エイリアンが攻めてこないかぎりね)
そのために英語が世界標準語だとかいって小学校から教えよう
ということになってますが、どうなんですかね?
俺はあまり賛成できない。
言語と文化と言うものは深く結びついているとおもうのです。
英語重視になったら国民性も変化してきてしまうのではないでしょうか?
英語は基本的に結論をまずいってそのあと説明しますが
日本語は説明をうだうだ喋ったうえに結論をはっきり言わない。
「察しろ」という「雰囲気」を出すのです。
俺はこの「察しろ」というのが好きなほうです。
頭からイエスかノーかというのはあまり好きではありません。
(良いか悪いかは別として)
そうはっきり言われると傷つくというか対立は免れないというか
イスラム圏とキリスト教圏の対立は善悪を峻別する人達の戦いなので
あんなに悲惨なのだと思います。
東アジアは違います。(儒教圏は除く)←中国と朝鮮半島
善悪も立派なものも胡散臭いものもマゼコゼです。
沖縄風に言えばチャンプルです。
俺はこの「ゆるさ」を失いたくないのです。
武蔵公方 URL
2005.03.30 17:18 edit
>距離は確かに抹殺されてるけど言語とか習慣が違うとやはり
「愛国心」みたいなものは共有できないと思う…(中略)…そのために英語が世界標準語だとかいって小学校から教えよう
ということになってますが、どうなんですかね?

とはいっても、言語とか習慣といった類の差異を乗り越えられないものかしら?その程度(←この表現、決して「軽視」ととらえないでください)だったら既に乗り越えてきているようにみえるけど。国教を越えて普及した宗教はどうとらえたらいいんでしょう?
でもエイリアンみたいなもんが攻めてこないかぎり云々ってのはわかる。

英語を小学校から教えるというのは、うちもあまり賛成していない。その前に「日本語の」本とか新聞とか文章「読む力」を伸ばしたほうがいいと思う。その延長で「論理的な思考力」や「表現力」を伸ばすことに重点をおいたほうがいいのではないかしら。そういう基礎体力を、ある程度、鍛えた上で、英語の勉強を進めていくなら文句なし。身につく効率もいくらか変わるでしょう。兎角、英語は重要な位置をしめているから、これを放っておくことはできないと思う。このような考え方をしてますが、いかがでしょう?大事な点だと思う。
あと国民性って、変化してはまずいものかなぁ?画一化を望んでいるわけでは決してないけれど、英語を重視するようになっても、日本人の気質はそう簡単には変わらないと思う。あくまでも「だろう」とかその程度の感覚で言ってるけど。
以下、脱線。うちは「察しろ」というのもずばっというのも両方好き(どちらかというと前者を使うことが多いかな)だけど、最近、うちのまわりではその「察しろ」が通じない人が増えてきているように思える(「読む力」が弱まっているのかな?と勝手に考えているけど)。その小さい規模の現象を一般化するのは抵抗があるけれど、そういうところは変わってきたのかな?
じゃんぼ URL
2005.03.30 18:15 edit
>じゃんぼ
>とはいっても、言語とか習慣といった類の差異を乗り越えられないものかしら?
>その程度(←この表現、決して「軽視」ととらえないでください)
>だったら既に乗り越えてきているようにみえるけど。
>国教を越えて普及した宗教はどうとらえたらいいんでしょう?

でも愛国心みたいなものとは違うものでしょう?
一体感ではないとおもいます。
宗教は商業・貿易と密接に関係してますからね。
それに昔は「国境」というものが確定してませんでしたから
今よりも流動的だったのでしょうな。
今の方が乗り越えるのが困難だと思いますよ。
ついでに宗教は伝播するとき伝わる側の言葉に訳されています。
現在は全て英語で統一しようというそういう動きです。
統一は個別の文化を消滅させます。
特有のニュアンスや単語。様々あります。
世界中で英語ばかりが話されるようになってそのようなものが
失われるのが惜しいのです。
(日本に限定しているのではありません)

>あと国民性って、変化してはまずいものかなぁ?
>画一化を望んでいるわけでは決してないけれど、
>英語を重視するようになっても、日本人の気質はそう簡単には変わらないと思う

別にまずいと言っているわけではないですけどね。
国民性の変化は室町や江戸から明治へを見れば流動的であると
いうことがわかると思います。
そして、日本にとって重要なものが明治維新で失われたということも
わかると思います。
明治維新はやらなければ日本は列強に喰われてましたから
背に腹は代えられないというものですが
いつまでもアングロサクソン崇拝ではやっていけないのでは?
と思うのです。
世界が一つの方向に向かう。
それはいいことなのかもしれないですけど失うものも多いのでは
ないでしょうか?
武蔵公方 URL
2005.03.30 22:09 edit
>管理人様
>でも愛国心みたいなものとは違うものでしょう?
まぁ、そうみえるけど、擬似宗教じゃない?
>一体感ではないとおもいます。
いや、一体感でしょう。そこを否定したらディアスポラが説明できなくなるし、某組織の活動(ごめんなさい、教養の足りない僕にはいい代理表現が思い浮かびません)も説明できなくなる。
愛国心って、ナショナリズムに変質されやすいところに恐さがある。郷土愛ならいいんだけど…。

>統一は個別の文化を消滅させます。
そうかな?都市国家段階を経て領土国家を結成した場合、前の時代から受け継いできた文化に対する執着があるから、そうやすやすとは消えないはずだけれど。過敏に不安になる必要はないでしょう。逆に文化消滅の心配をしないのもよくないけど。

>別にまずいと言っているわけではないですけどね。
>国民性の変化は室町や江戸から明治へを見れば流動的であるということがわかると思います
うん、大丈夫。そのへんは踏まえているよ。
誤解を与えたなら、うちの言い方がまずかったんでしょう。

>いつまでもアングロサクソン崇拝ではやっていけないのでは?
まぁ、そりゃそうだ。でも英語の代わりに、近い将来、世界標準言語になれそうな言語はあるかしら?少なくともないと思う。言語の質のよさからハングル?という候補もうちのなかにはあるけれど、時間がかかりすぎる。エスペラントも結局はアングロサクソン系だったっけ?それはどうでもいいんだけど。
ん?そういえば、世界標準言語は英語、というよりも米語では…?そう置き換えてみると、言語問題→アメリカナイズに意識が転換してしまう。アメリカナイズということになると、嫌だなぁ、という反発感情がでてきてしまう。アメリカナイズと英語世界標準語化、この二つをそろえて、考えたほうがよいのでは?


ちょっと落ち着いてみると、ここの最初のトピック、ゆとり教育だったよね…。発展したというべきか、脱線し続けてまだ走り続けているというべきか…(笑)
じゃんぼ URL
2005.03.30 23:59 edit
確かに脱線しすぎて何の話やら・・・。
これ以上は掲示板にしてくだせい。
一応、これだけレスつけますんで。
・一体感の話
どこまでを一つの宗教としてくくるかという問題があるのですが
一般的な区別でいけばイスラム教、キリスト教、仏教というのは
世界三大宗教として分類されているわけです。
しかし、仏教一つ取ってみてもタイと日本では違う。
同じ仏教徒でも一体感は得られない。
キリスト教を例にとれば宗派が違うというだけで殺し合っている。
(他のでも例はきりがないが、典型的なので)
一体感を得られるのはその宗教が若い間だと思います。
時が経って分化してしまえば一体感は消えて殺し合うまでになる。
分化したあとの狭い範囲でしか一体感は存在しなくなるわけです。

・愛国心とナショナリズムの話
この二つは混同されがちですが別物だと考えています。
たとえば太平洋戦争中の日本は愛国心を宣伝しまくっていましたが
宣伝していた軍部(参謀本部)に愛国心があったかといえばノーです。
かれらには愛国心のカケラもない。
自分の天皇の権威を笠に着て自らの出世だけを考えていた連中です。
説明不足ですが長くなるので・・・。

・文化消滅の話
消滅してると思いません?
世界中みんな洋服着てる。
高層ビルが建ってる。
同じ映画が流れてる。
トヨタの車・・・?
日本なんて特有の文化が良く分からないとこまできてる。
観光用に残ってるくらい。
日々グローバリゼーションの渦にフェアーじゃなくてフリートレードの波に飲み込まれている気がする。
それが良いのか悪いのか俺には判断しかねるけど
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ゆとり教育 学力低下  Sachi-blog
「ゆとり教育」と「学力低下」の関係について僕なりに考えます。
2005.03.29 02:37
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