薄馬鹿下郎日記

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共生・共棲・今日せい!(笑)

2005.10.22 未分類
今日は「共生」ということを少し考えてみようと思います。
共生は「自然」と同じく乱用されている語です。
よく聞くわりには意味をよく理解していない言葉なのではないでしょうか?
共生は環境問題に関わらず多用されています。
それぞれが使用している「共生」に別の意味があるのですが
大体この言葉は「聞きざわりがいい」ということで乱用されているのです。
今回は環境問題を考えるときに必ずと言っていいほど出てくる
自然との共生
という言葉の意味を考えてみましょう。

まず手始めに生物学的な共生を見てみると3つある。
1・相利共生
2・片利共生
3・寄生

1は我々が一般に思い浮かべる共生の形でしょう。
花と昆虫、アリマキとアリ・・・。
互いの行為が互いに利益となります。
花と昆虫の例では少数の昆虫と特殊な契約をしているのではないかと
思われるような形状をした花などもある。

2は片方には特に利益はないがもう片方には利益があるというもの。
相利共生に近いものや寄生に近いものもある。
ラフレシアとハエ、ナマコとナマコの内蔵に隠れる魚・・・。

3の寄生は相手を死に至らせたり不利益を与えたりしながら相手と生活するタイプ。
寄生バチ、回虫・・・。
托卵するカッコウもこれに入るのかもしれない。

以上の共生はミクロな視点での共生である。
言い換えれば、ある種とある種が結んでいる状態である。
そして最も多い批判は「共生」はお互いの種が「利己的」な戦略を展開する中で
「落とし所」を見つけた状態であり、お互いがお互いのことを考えて行っている行為
ではない。
それに「共生」は例外的関係が多く、自然界での関係のほとんどは
「捕食・被食」の敵対的関係である。
現在の共生観は非常に擬人化されており人間界であるべき姿を自然界の現象に
投影しているに過ぎず、「人間と自然」との関係で構築すべきモデルではない。
という類の批判である。
確かにそうだろう。
お互いの利益が一致したから共進化もして相手により良い形状になった種もあるだろう。
(こういう観点から片利共生も相利共生に変化する可能性も予測できる)
小生も同じ意見である。
人間は科学技術、いやむしろ農耕と牧畜をはじめたときから自然界から離脱をはじめ
今はリンクしているに過ぎない状況である。
人間が特定の種と結ぶ関係は相利共生ではなく「栽培」である。
(家畜と農作物と結んでいる)
ただ敵対的関係と言われる捕食・被食の関係も一つの共生であることを
付け加えておく。
(詳しくは本体HPのレオポルドの項を参照のこと)


そもそも現在求められている「人間と自然との共生」というものは
ミクロなものではなくマクロなものなのだ。
生態系はヒトにとって不可欠であるので3つのタイプから選ぶとすると
「寄生」にあたる。
しかし、前述したように片利共生や寄生は相利共生に発展するポテンシャルがある。
そこに希望を見いだせるのではなかろうか?
見当違いな例だが回虫や真田虫は嫌われていたが現在は彼らがいると免疫力が上昇したり
余分な栄養を吸収してくれたりして健康になると言われている。

共生には相手の本質的不可欠性が前提条件だが
この点から見ればマクロシステム(生態系など)との関係も共生とは言えない
という意見もある。
なぜなら現在生態系がもっぱら行っている人間に有益だと思われる活動は
理論的には代替可能だからだ。
しかし、それはあくまでも理論的にということであって現実的ではない。

例えば河口湿地生態系だがこれは膨大な有機物を分解し多様な魚介類を生産している
もし、これを人工的に行う(浄水設備の建設、魚介類の養殖)とすれば
膨大なコストがかかり事実上不可能である。

が、例え河口湿地を保全してもヒトの利益にはなるが
河口湿地の利益になっているかといえばなぞであり片利共生の域を出ないのではないか
と考えられる。

これ以上話を展開していくと読むだけで疲れる長文になりそうなので
今日のところは人類が自然界と目指すべき「共生」は寄生から片利共生へ発展させる
ことではないか?(相手に被害を与えないという意味において)
ということで終わらせることにする。

最後までこの稚拙な文読んで下さった方ありがとうございます。
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コメント4
トラックバック0
2005.10.23 00:15 edit
そうだね~。
相利共生するのは難しそうだ。でもちょっと“ひねくれもの”は家畜も種を保つことができ、人は食料を手に入れたなんていう人もいるかもねぇ~。僕はそうではないけれどさぁ。ちょっと利という言葉を考えると深みにはまりそうやね。また、それもよし。
八閑斎の考える“利”とは何?
らぶろく URL
2005.10.23 23:08 edit
家畜と人間の関係は相利共生ではないと
思いますよ。
相補性とか本質的不可欠性がない
つまり何かによって代替可能だから。

聞きたいのは何に関しての「利」?
人間についての利か
相利共生の利のことか・・・。
八閑斎 URL
2005.10.23 23:45 edit
自然にとっての利かな~
らぶろく URL
2005.10.24 23:02 edit
まず「自然」という言葉の定義を
してもらわにゃならんのです。
それは本体HPにも書いてあることですが
さらに無機的自然(岩とか自然災害における自然とかを想起して欲しい)、有機的自然(基本的に生物)でも印象が変ってくる。
らぶろくの言う「自然」が有機的自然を対象にしているならそれらの「利」は出来るだけ安定的に長期間存続することでしょうね。
八閑斎 URL
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